「心配する」ということ

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日々暮らしていると他人と関わるワケですから その中で他人を「心配する」という場面もあるでしょう。

私もアラフィフになり結構な期間を生きてきましたが やっぱり心配される方にとってこれほどウザイこともないなと思うんですよ。

いきなり結論ですが

「心配するとは 心配する側の自己満足である」

 

はい。盛大なブーイングが聞こえてきそうです。

 

私がこの考えに至ったのは 2008年に骨折した時。

仕事中の事故だったため 会社はてんやわんやだったことでしょう。

荷主やおろし先にも多大な迷惑をかけました。

 

その辺は今回のこととはまた別なので省くとして。

入院生活ってとっても退屈ですから お見舞いは大歓迎なんですよ。

当時はスマホも持っていなくてガラケーでネットを徘徊するか 有料でテレビを見るか本を読むくらいしか時間の使いようがありません。

手術前は体の自由もききませんし 基本安静ですからね。

そんなときのお見舞いは 気分転換になって嬉しいですね。

 

だがしかし。

 

手術当日。

麻酔をするワケですから 家族も来るように医者に言われます。

私の家族はもとより 私の親と奥さんの親まできました。

私の家族はいいんですが 親同士は久しぶりに会ったこともあり 話に花が咲いてるんですよ。

こっちは初めての手術でナーバスになってるってのに うるさいったらありゃしませんでしたね。

彼らは私を「心配して」きてくれたのでしょうが。

私にこんな思いをさせるくらいなら 来てくれない方がよっぽど穏やかに手術に挑めるわと。

 

ここまでは私の実体験でしたが。

よくある話に

「あなたのことを思って言ってるのよ!」

とか

「あなたのことが心配なの」

とかありますね。

親から子のこともあるでしょうし 先輩から後輩にとか。

 

これ ホントに尊敬してる年上の人からなら素直に聞けるんですよ。

ところが そうでもない年上の人に言われると ウザイことこの上ない。

人生の先輩としていろいろ経験した上でのアドバイスだったとしても それはあなたの価値観でしょと。

 

最近は減ったかもしれませんが

「お前も早く結婚した方がいいぞ」

「早く子供作んなさいよ。かわいいわよ〜」

今はヘタするとセクハラになりますね。

 

結婚するしないも 子供を作る作らないも人それぞれ 夫婦それぞれの事情と価値観であって 他人にどうこう言われるものではありませんね。

私の娘ちゃんは奥さんの連れ子であり私とは血の繋がりはありません。

私はそれを意識することはなく結婚する前から「我が子」として関わって来ましたが 私の親としては血の繋がった孫が欲しかったんでしょうかね。

強く子作りを勧められた時期がありました。

 

私と奥さんも一人っ子はなぁと。

励んだ時期もあったのですが 結局は恵まれませんでした。

奥さんは娘ちゃんを産んでますし 私も前の奥さんとの間に娘がいますから種無しではないでしょう。

いろいろとタイミングが合わなかったってことなんでしょうね。

奥さんとも話して 私たちの年齢とか これから娘ちゃんにかかる教育費とか 諸々を考えて娘ちゃんに資源を集中しましょうってことになりました。

 

そんなことがあってから親に子供作れと言われても これまたウザイことこの上なかったワケですよ。

それはあなたの価値観でしょと。

だいたいオマイらも私と弟と6つも離して作って 一人っ子2人だべ。

「兄弟の思い出」ってほとんどありませんから。

うちはうちの価値観で生活してますし たとえ親であろうと強制されるものではありません。

 

プレゼントなどもそうですね。

たまに会うときのお土産はいいですよ。それも消え物なら。

それが引越しをしたときに

「これ新居に飾ってね」

なんて言われて物を送られるとまた困りますね。

趣味が合えばいいですけど

・トイレはスリッパか マットか

・玄関にマットは敷くのか

・置物

・絵画

・食器

・調理器具

などなどなど。

 

せっかく心機一転 新居に引っ越してシンプルに過ごそうと思ってるところにものを送られると ジャマですね。

捨てるに捨てられないし。

これはもう送った側の自己満足としか言いようがないですね。

 

結婚式の引き出物といえば タオルとか食べ物とか当たり障りのない なるべくかさばらないものが定番でしたが 最近はカタログギフトが多いようです。

これも人それぞれの価値観を尊重したものでしょう。

結婚式に参列する人数は10人単位から ときには数百人単位になるでしょうから みんなに合うものを送るのはほぼ不可能です。

そこに「これだけの予算は用意してますので お好みのものを選んで下さい」ってのは合理的ですね。

 

結婚式絡みでいえば 私の最初の就職先がホテルの宴会場でしたので それはもう数々の結婚式に関わって来ました。

その中で感じたのは

 

「来賓挨拶と媒酌人と余興は不要」

 

ということですね。

 

結婚式に会社の上司を呼んで挨拶をしてもらう。

そもそもプライベートな結婚に会社は関係ありますか?

直属の上司に媒酌人を頼むのも。

そして 同僚を呼んでの余興とか。

友人代表スピーチとか。

 

新婦はお色直しでいないし。

列席者は酔っ払って誰も聞いてないし。

それなら適当な音楽を流して ゆっくり御歓談と料理を堪能してもらった方がよくないですか?

 

そんな考えで 私の結婚式の時は 全てを省きました。

お色直しも1回。

和装と洋装1着ずつ。

媒酌人はなし。

来賓もなし。

当然余興や友人スピーチもなし。

 

ただ結婚というものは当人同士だけではなく家対家のことでもありますから 神宮で結婚の義を済ませたご報告と それを披露して久しぶりに会う仲間たちと楽しく飲みましょうって会にしました。

 

ちょっと主題と逸れて来ましたね。

元に戻しましょう。

 

「心配する」ということ。

 

それはあなたのこれまで生きて来た経験や価値観によって他人に施すものではありますが その他人にとっては必ずしも必要なことではないということではないでしょうか?

 

他人から相談をされて それについて経験や価値観からアドバイスを求められることもあるでしょう。

その上でどうするかは当人が決めることです。

 

「あなたのことが心配なの!絶対こうした方がいいから!」

 

と言われたところで その人はあなたの人生の責任を負ってくれることはありません。

 

また私の話になりますが 私が初めてトラックに乗る!と親に言った時。

 

猛烈に反対されました。

 

まぁ 車に乗るということは 常に死と隣り合わせですからね。

親が子を心配するのもわからなくはないですが。

その時の私は23才。

もう放っといてくれよ(-.-;)y-~~~

 

親は大概子より先に死にますから 子の一生の面倒を見ることはできません。

 

その子が独立した生計を営むための仕事に関して 親がどうこういうのはナンセンスです。

 

それがオレオレ詐欺をするとか ネズミ講だとか法に触れることなら全力で止めるべきですが 世間一般的にある仕事を否定される筋合いはたとえ親であってもないですね。

 

実際 私がトラックに乗り始めて 今となっては私の親よりも多くの収入を得て 私の親にはできなかった

「子を大学に通わせる」

ということを実現しているのですから。

 

心配するということ

 

から始まって

・お見舞いする

・葬式をする

・法事をする

・贈り物をする

・アドバイスをする

 

心配されるとか 死んだあとの法事とか。

 

当人にとってはどうでもいいことではないですか?

 

現世を生きる人間として死人を弔うということは 死人をリスペクトすることなのでしょうが それこそ自己満足ではないですか?

 

私はあなたをリスペクトしていますので 

これだけのおカネをかけてお葬式をします。

定期的に法事をします。

 

死んだ当人は そんなことにおカネを使わなくていいから 現世を生きる糧にしてくだされ と思っているのではないですかね。

 

他人を思いやるということは大切なことではありますが 人それぞれに価値観がありますから それを他人に押し付けることはしないようにしようと思う アラフィフの独り言でした。