46回目の誕生日に思うこと

スポンサーリンク


なんだか知らんけど 風呂入るどころか まともにメシ食う時間すら与えられないふくろうです。
この前も『3日に1回くらい風呂入りたいってのはわがままっすかね~』って札幌の本社に相談したんだけどなぁ。

こんな生活からはさっさと抜け出して もっと人間らしい生活を送りたいものです。

さて

明けて今日 11月9日は私の46回目の誕生日であります。
もう今更誕生日だから嬉しいという感情はないですが。

思えば29歳の終わりころ。

それまで2年つき合った彼女と別れ
初めての3リッターセダン 14アリストを買い
そのアリストのローンを払うために一生懸命働いてるけど
そのアリストに乗るヒマがない・・・

『オレ なんのために仕事してんだべ?』

その頃は単車の本州便で ほぼ休みもない生活でした。

『あ~ このままだったら結婚しても家族と過ごす時間もないし 家建ててもその家に帰る時間もないいんだなぁ』

と思い始めた時期ですね。

このときから理想の人生について考え始めていたはずなのに 未だにその願いは叶えられていないという・・・。

そんなころに迎えた30歳の誕生日。

それまでは自分の誕生日は周りから祝ってもらうものという意識だったのが その時から誕生日は産んでくれた親に感謝する日と思うようになりました。
そして初めて親にメシを奢った日でした。

自分も親になってみてバツイチになっていたので 意識が変わったのでしょうね。

それから せっかく生まれてきたんだから生きたいように生きようと 本州便を辞めて道内の定期便で毎週決まった休みがある生活をしてみたり ネットワークビジネスに手を染めたり(笑)

トレーラーに挑戦したのもこの1年後くらいですね。

スタンドマンや運転手の車関係の仕事が長かったのですが 住まいの勉強をするべく不動産屋で働いたりしました。

そうこうしてるうちに 今の奥さんと結婚することになり 自由にやりたいことをやらしてもらってましたが 主になるべくしっかり稼がねばってことでまた運転手してます。

でどうなったかというと

本州便のときよりも家に帰れず 家族にも会えないと。

家族と時間を共有できないのは残念ですが 今は娘を大学に行かせるべくしっかり稼いで 可能性を最大限に広げてやるのが親の役目かと。
北海道で社員でトレーラー乗っても 基本が苫小牧か札幌になるので家に帰れないのは一緒だし だからって稼げるかっていったらなかなか厳しいですからね。
毎月食ってくだけで精一杯ですよ。

って考えると 今の状態はまぁアリかと。

今年を振り返っても 初めて『セミナー』なるものに行けたし 本やいろいろな教材を買えるようになりました。
今の会社に入るまでは たまに本買ったり教材買ったりはしてましたが 飛行機乗って東京のセミナーに行くとか考えられなかったですね。
そこまで自分で使えるお金がなかったんですよ。
社員という社畜だと『東京のセミナーに行くので休みます』とも言える感じでもないですしね。

今は一応社員という体の自営業者なので『〇日休むから!』でスケジュール調整してある程度自由にやってます。
その分 普段は多少寝れなかったり 風呂入れなかったりしても軽くイヤミ言うくらいでムリ聞いてますから。

雇われてて収入の柱がそれ1本だけだと どうしても『お給料をいただいている』という感覚に陥りがちですが 普段私たちが何か買うにしても それが必要だからお金を払うのであり『買ってやってる』というよりも『売ってください』でないですか?

コンビニよりスーパーのほうが同じ物でも安いのはわかっていても すぐそこにコンビニがあるからとか この時間に営業してるのがコンビニだからとかで高いコンビニで買いますよね?

お金を払うほうがエライのではなく お金を払ってでも欲しい価値を提供してるからお金と交換で価値を提供してあげますよと。

買う人>売る人

ではなく

買う人=売る人

でもなく むしろ

買う人<売る人

でないかと。

イヤ そうでなければダメです!

そういう自分にならないとダメです。

お母さんが生涯作る卵子は400コくらいですかね?

そこにお父さんがピュっと出した何万っていう精子の1つが巡り会って生まれてきた人間。

もうそれだけでも奇跡であり 選ばれた存在です。

今日会うお客様
今日会う上司

ひいては会社や国

そんな外部要因に翻弄される人生ではなく

選ばれた卵子と選ばれた精子が巡り合った奇跡の存在。

それを命がけで産んでくれた母親のためにも

今日を精一杯生きる人生にしませんか?