ここまでを振り返ってみる

スポンサーリンク
スポンサーリンク

去年 あれこれ調べながらドメインを取ってサーバーも借りて。

それらの設定をして。

 

このブログを始めました。

国や会社に頼らないで生きて行けるようにと思って始めたのですが 

さて 私は一体何ができるのだ?と思いまして。

 

ここで今一度 私の人生の棚卸しをしてみようと思います。

 

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

小中学校とそこそこに成績のよかったワタクシ。

高校も北海道ではまぁまぁの進学校に入学。

(当時 道内で4位)

 

高校では帰宅部の私は アルバイトを始めます。

最初はコンビニとファストスードが一緒になったようなお店。

この時の時給が なんと!

480円!

今じゃ考えられないですね(笑)

そこは確か3ヶ月もしないで退職。

 

しばらくして中学からの友人の紹介で ホテルマンデビュー。

ホテルと言っても〇〇ホテルという名前がついてるところではなく 宴会場もあって結婚式もやってますよ程度のところ。

ここで宴会場の仕事の流れを学び 1年ほどで退職。

高校2年の終わり頃でした。

理由は「学業に励むので」

この頃はまだ大学に行こうとしていたんですね。

 

でも 大学行って何すんの?と自分に問いまして。

バイト先にいた大学生も私たち高校生と徹マンしてるような人たちでしたので 高いおカネを払って何やってんだろ?と思ってしまったんですね。

そして 大学で何か勉強したいってこともない。

それよりこの束縛親から解放されたい!の方が強くなりました。

 

そこで高校3年になったすぐくらい。

「大学行かないから。冬休みには車の免許取る。」と親に宣言しました。

「それなら自分でカネ貯めて取れよ」とのことでしたので 高3の6月頃から宴会場の経験を活かすべく 正真正銘の〇〇ホテルと名のつくところでアルバイト。

ここにも「大学8年生」が何人かいて 進学しないという私の選択に自信を持ってしまいました。

 

そのころからなぜか年上に可愛いがられた私。

ホテルマンの厳しい世界ながらも おカネをいただきながら社会勉強もできました。

高3の冬休みになって自動車学校に通い 無事に運転免許も取得して卒業も迫っていたころ。

私としてはそのままアルバイト先の会社の社員になってもいいかなぁと思っていたのですが ご縁があって某ホテルに就職。

後に今の奥さんと結婚式をしたホテルであります。

 

そこでもまたフロントとかレストランではなく宴会場。

ホテルによってのやり方の違いはありますが 基本は一緒ですからそつなく日々を過ごしていきます。

下っ端→中堅を経て黒服へ。

その過程でアルバイトたちのマネジメント的なことも経験しました。

 

ただ......

ホテルってやっぱり施設におカネが掛かるワケですよ。

なので決してお給料はよくはないんですね。

そんなある日。

支配人のデスクにあった給料明細。

ビリビリとフチを破いて開くタイプですから...... 

まさか他人の給料明細を破いて開くワケにもいきません。

しかし。

 

光に透かして見ると なんとなく見える!

手取り金額は......

 

当時の支配人は今の私より年上でしたが 今の私の半分以下の手取りでした。

 

「あぁ 何十年もがんばって役職が付いてもこんなもんか(-.-;)y-~~~」

 

仕事内容は素晴らしいですよ。

私は2回しましたが 普通は人生で1回の結婚式に携われるのですから。

今考えても好きな仕事ではあります。

 

ただ これからの人生を考えるとねぇ。

 

そこで次。

「何をやるにしても営業は必要だな」と。

ピンポン営業の会社に転職。

売るものは家の電話機。通称家電(イエデン)

 

そんなもの......

今はケータイしかない人もいますが 当時はケータイも今ほど普及していませんし 家電(イエデン)は当たり前でした。

しかも電話は話せればいいという時代です。

やっと家庭にFAXが普及し始めたくらいですね。

そこに「新しい電話機買ってください」って。

売れるワケありませんよ。

ほぼ詐欺か?ってトークで売っていきますが半年で挫折。

 

そこを辞めると言ってから経理として拾ってもらいましたが 社長のおカネの使い方が見えてイヤになり退職。

 

今考えれば 社長はリスクを背負って会社を起こして利益を上げているのですから 会社の中で報酬が一番多くて当たり前なのですが ガキな私にはそれは理解できませんでした。

 

そこを辞めてからはフラフラします。

車屋さんのマネごとをしたり すすきのにいたり。

建設作業員もやりましたね。

 

そんなことを半年くらいやって スタンドマン。

本来はシフトで早番・中番・遅番とあるのですが 中番固定にしてもらって夜はファミレスのWワーク。

 

車好きな私としては楽しく働いていたのですが。

 

夜のファミレスがある時は睡眠4時間。

そこまでして両方の給料を合わせて見て......

 

「これならトラック乗った方がよくね?」

と思って運送業界に入ります。

それが23才。

当然経験はありませんし 普通免許しかありませんのでまずは4tから。

 

4t道内便→4t本州便→大型本州便とスキルアップしていきました。

 

4t道内便と大型本州便とでは年収で200万くらい違いますから それまでに知らなかった収入を得てそれなりに楽しくやっていました。

ホテルマン時代の3〜4倍の収入です。

ここの会社にいるときに結婚して離婚して。

収入も上がり 人生経験も積んだ時期ですね。

 

でもねぇ。

今もそうですけど運転手って仕事してるつもりでも「労働」ですから。

自分の時間とカラダを売っているのに変わりはありません。

週一の公休も消化できない状態でその会社には7年いました。

欲しくて買った14アリストのローンを払うために働いてるけど そのアリストに乗るヒマがない。

 

このままだとまた家族を持って家を建てても その家に帰るヒマもないなと。

 

なんのために働いてんだ?と思い始めたんですね。

そういう時って 変なもんに捕まるんです。

 

そう!

ネットワークビジネス。

いわゆる「マルチ」ってヤツです。

 

実は以前にもネトワに手を出した時もあったのですが その時は消耗品を扱っていて初期投資もさほどでもなく傷口も小さいうちに撤退しました。

しかし今回は初期投資で50万。

やめればいいのにねぇ。

ネトワが悪いワケではないですよ。

いわゆる会社だって似たようなもんですからね。

トップに社長がいて 部下たちにはその部門の売上によって報酬を払うよってモデルですから。

マーケティングとして 広告を打つのか 人(口コミ)を使うのかの違いだと思います。

そこで無理をして友人知人に売り付けようとするから人間関係が破綻するのであって いいものを必要な人に届けるというのは商売の基本だと思いますけどね。

 

そんなネトワに手を出した私ですが 当然それだけで食えるワケもなく。

道内の定期便の仕事と並行してやっていきます。

定期便ですから毎日決まった時間に走って決まった時間に終了。

ネトワの活動をするにも予定が立てやすいんですね。

そんなこんなで 定期便をやりながらネトワでも二回級昇進!

でも これも結局労働ですね。

永遠に売り続けませんと収入は途切れてしまうワケです。

 

昇進がかかった時にムリしたのが祟って 定期便に迷惑をかけてしまったので退職。

 

しばらくブラブラしていましたが せっかくけん引免許もあるんだしとトレーラーの会社に入ります。

元々大きい車が好きな私。

とりあえずはそこら辺を走ってる中では一番大きい車に乗ることができました。

そこは平均年齢も若くイケイケどんどんな会社でしたし 私も若かったので寝る間も惜しんで走っていました。

そんな会社が 入って半年で倒産。

 

失業保険がすぐに出ますので またブラブラ。

失業保険も出なくなったので 違う会社でトレーラーに乗りますが そこがまたね。

北海道でいうところの「ガッサイ会社」だったので1週間でサヨナラ。

 

「もう運送業界はいいな......」

 

と思って 衣食住の「住」の勉強をするべく賃貸不動産営業の道へ。

先のピンポン営業とは違いお店でお客様を待つ営業ですから ピンポンして罵声を浴びせられることはありません。

しかし 待ってるだけではお客様は来てくれませんので 来店してもらえるように仕掛けをするのが仕事の大半です。

 

日々家主に部屋の空き状況を聞くのに電話して 空いてる部屋には張り紙。

仕入れた空き情報をネットにあげ。

反応のあったお客様の対応。

 

会社としてもイメージ戦略が大事になってきますから ガンガンCMも流します。

広告費がかさみますので 給料もそれなりですね。

営業ですから歩合ですが 歩合を稼ぐには効率よく売り上げていかないとなりません。

そのためには 普通は決まりにくい 家主から広告費が余計に出てる物件を決めなきゃなりません。

決まりにくい物件で「なんだかなぁ」と悩んでるお客様にクロージングをかけて決めて貰わないとならないんですね。

 

その時もネトワの収入がたま〜にあったので 私はムリな営業をかけることはほとんどなく

「住むのはお客様ですから お客様が決めてください」

というスタンスでやっていました。

そんな感じですから売上も芳しくはなかったですね。

当然給料も。

 

ホテルマンにしても不動産にしても 接客はどうやらキライではないらしい。

不動産屋で物件を決めていただいたお客様にはお礼状を出していたのですが たった1人だけお返事をくれた大学生がいました。

その時はうれしかったですよ。

その大学生から「灯油が切れてしまって......」と夜に電話が来たときには 自腹で灯油を買って持って行きましたもの。

 

あるとき ニュージーランドのお客様からメールで物件に問い合わせをいただき メールで資料を送ったりしてメールのやりとりだけで決めていただいたこともあります。

このお客様には北海道に移住後 鍋パーティにご招待いただきました。

 

誰にでも必要な「住」に関係する仕事ですから 中には「金払ってやるんだ!」という上からの変な客もいましたが なんだかんだ楽しんでやっていましたね。

 

この頃には今の奥さんとつき合っていたのですが 娘ちゃんも大きくなってきたしボチボチ将来を考えなきゃならない時期です。

娘ちゃんの名字を変えるならできれば小学校に入る前。

私が好きでやっているにしても 主になるには心許ない収入。

先ほども書いたように まともに収入を得ようと思ったら自分は住まないような物件も決めていかないとなりません。

そんなことをするくらいなら......

 

そう思い また運送業界へ。

・シートパイルなどのリースもの

・タンクローリー

・ビール

ここまでは道内のトレーラー。

どこもパッとしなかったので 知人の紹介で単車の本州便。

しかしあまりにもブラックで半年で断念。

 

再び道内のトレーラーの会社。

その時としては内容とお給料が釣り合っていたようで ここには4年間お世話になりました。

ここに入ったのが2月。

その年の10月に初めての骨折で 入院・労災・保険金受取と初めてづくしを体験しました。

 

そしてここの会社にいたときに とある十勝の荷主に

「うちでトレーラー買うから来ないか?」

とお声を掛けていただきまして 即家族会議。

 

と言っても娘ちゃんはまだ小さかったので奥さんと会議。

その結果 別にいいよと。

 

移住を伴う転職でしたが 奥さんもよく決断してくれたものです。

しかし 当時5年生だった娘ちゃんの小学校は今のまま卒業させたいという奥さんの強い希望により 1年間は私だけ十勝へ。

 

1年後に単身赴任も終わって家族が十勝に揃いましたが 信頼していた社長に裏切られるようなことがありまして。

最大積載量20tのシャーシーの板バネが折れてるのに 30tも積まされるというね。

さらに タイヤがバーストして電話したら「行けるとこまで行け!」と。

こんな会社にいたら そのうち殺されるか誰か殺すか。

たとえ業務命令だとしても最終的にその車を動かす責任は運転手ですから 整備不良とか過積載とか過労とか。

それで自爆ならまだしも 誰かを殺してしまったら責任は逃れられません。

責任どうこう以前に そんなことに関わっていてはダメですね。

そんなところとはno dealで。

 

十勝でトレーラー乗ったりスタンドの夜勤をしたり。

 

いろいろ回り道をして 今の会社に。

 

家のローンを払うために働いてますが 家に帰るのは年に数回。

今はそれより 娘ちゃんの学費&生活費の割合が増えてますが。

 

北海道でトレーラーに乗るとしても だいたいは苫小牧か札幌が基点になりますので十勝の家に帰るのはせいぜい月に2〜3度。

どうせ食費やその他諸々の経費が掛かるのなら より稼げる関東でってことで今に至ります。

 

でもどうなんでしょうねぇ。

確かに今までの私の人生の中では 今が一番収入は多いですよ。

車そのものは好きですし 運転もキライではないですが 3ヶ月も家に帰れないという状況はさすがにね。

 

十勝に移住したものの会社に搾取されてばっかりでケツに火がつき始めていた私は とりあえず稼がねば!と今の会社に入りましたが。

私が望む生活ではないですね。

 

そう思うところがあって ブログでアウトプットを始めたワケです。

 

とりあえず私の今までを棚卸ししましたので 次回はここからの考察をしてみます。